essay ゆいまーる動物病院

 一匹の大型犬と私たち家族が出会ったのは、十五年ほど前にさかのぼる。犬種はゴールデン・レトリバーのオス。成長し過ぎ、子犬としての展示期限が迫った犬であった。

 私たちは前月に七年あまり飼いつづけた雑種犬を、原因不明の病で亡くしていた。五人の子ども達が幼児期から可愛がってきた犬だった。名をチャイといった。
 庭に打ち込んだポールに、長ひもでつながれ、庭中を駆けまわっていた。時に長紐(ひも)がポールに巻き付いて、活動範囲が著しく制約されることもあった。しかし、領分を侵されぬ限りは、結構逞(たくま)しく、悠長に過ごせていたと思う。

 そんな彼を悩ませるのは、散歩で近づいたお仲間か、毎晩出没するタヌキやアライグマたちだった。夜中に現れる野生動物との戦いは大変激しいもので、彼らのお目当ては、チャイが食べ残したドッグ・フードだった。攻撃は執拗であり、日ごとに逞(たくま)しくなってゆくチャイは、荒い気性の一面を覗(のぞ)かせるようにもなっていった。

 しかし、我が家の子ども達には、いつもやさしく接してくれていたかと思う。
 そんな矢先に、チャイを原因不明の病が襲った。当時の鎌倉は、次々と動物病院が誕生はしたが、雑種犬の彼にはいたって冷たいあしらいで、雑種というだけで門前払いくわすものさえあった。

 そんなわけで病名は分からずじまいに終わり、発病から半年経ずして他界してしまった。

 悲嘆に暮れる子ども達に背中を押されて、国道一号線沿いにあったペット・ショップに立ち寄った。そこで出会ったのが、展示コーナーの片隅に、成長し過ぎて販売期限が迫った、ほかの子犬たちよりもひとまわりほど大きなゴールデンの子犬だった。子犬とは言っても、周囲とは親犬と見紛(まが)うばかりの大きさだったのだが……。

 確かに仕草は幼犬そのものであり、何とも愛くるしくって、抱かせてもらった低学年の子ども達は、体重に圧倒されはしても、人懐こくって、ところかまわず舌で舐(な)めまわす仕草に、たちまちスキンシップが出来上がり、すっかり虜(とりこ)になってしまった家族は、即決で、彼を買い受けることに決めた。期限ギリギリであったことから、お店は見切りで手放してくれた。

 初めて飼う室内犬。日ごと成長して行く大型犬。最初は中袋であったドッグ・フードも、すぐ大袋へと……。その後は、一度に三袋づつ大袋を買う羽目に追いこまれてしまった。

 犬好きの長女と次女は、躾(しつけ)教室にも通って「やんちゃな三年間を、しっかりと遊ばせたならば、あとは飼い易(やす)い」と教わって、その教えを忠実に守ったところ、家じゅうの柱という柱は齧(かじ)られ、壁は剝がされて、築40年のボロ家は、たちまちにして見通しの良い廃屋と化してしまった。

 三年後に、彼はやたらと粗相をしない、オトナシクて従順な室内犬へ成長した。名はブルペンと名付けた。

 買い入れた中古のモーターホームで、共に、国内各地を巡り、家族一同は、幸せな情景をたくさん思い出に残すことができた。

 当時は七十代の後半にあった母が、突然、脳梗塞で寝たきりとなった。犬に恐怖心を抱いて、元気な頃には、身のまわりに彼を寄せ付けることは無かったが……。

 子供たちのいない昼間に、呼び鈴で、排せつ介助に向かった私は、誰もいない筈の彼女の部屋から、誰かと話している母の声が聞こえてきた。不思議に思い、そっと覗(のぞ)いて見ると、ベッドの傍らに座り込み、母の顔を見つめているブルペンの姿を認めた。認知症がはじまっていた母は、自分の思い出話を彼にして聞かせていたのだった。

 その場でしばらく彼女の話に聞きいった。彼女の幼少時に、長野県佐久のあぜ道で、野犬に追われた恐怖を語っていた。なぜに犬嫌いになったかを、大型犬に話して聞かせていたのだ。静かな目をしてブルはジッと話に聞き入っていた。時折、キュンと、寂しげな声を、相づちを打つようにあげていた。少し麻痺(まひ)した彼女の左手が、ブルペンの頭に置かれていて、その手を、ブルは愛(いと)おしいものを舐(な)めるかのように、舐めはじめたではないか。なぜか、その時、母の目には涙が溢(あふ)れており、その日から、母の部屋でブルペンを見かけることが多くなっていった。

 ブルペンも、飼いはじめて十一年を経たあたりから、体調に異変を来すようになった。既に次女は動物看護士とトリマーの資格を得て、大手動物病院で働くようになっていた。その伝手(つて)で、彼に何回かの手術を受けさせて、命を繋(つな)いではいたが、結局は、この病院で余生を終えることになった。

 彼女と一緒に寝ずの看病をしてくれたのが、現在の伴侶である動物医師であった。その後の二人は、川崎市宮前区で動物病院を開業した。名は「ゆいまーる」とした。沖縄言葉で「どこに住んでも等しく共に安心して暮らせる」との意味合いのようだ。「大切な家族であるペットと共に」と言うことなのだろう。

 院長の彼は、若い頃から職種を転々として、人間関係の難しさにも悩みつつ、いつしか獣医の道を歩むことになったと聞く、メンタル豊かな男である。

 獣医となっても、二十四時間動物救急病院での救命医としての経験が長く、動物腫瘍の治療に、高い関心と知識を持つようだ。

 立ち上げたホームページを覗(のぞ)かれたなら、その情報量の豊かさに驚かれるであろう。

 ゆいまーる動物病院、そこは、動物との共生を目指す二人の砦(とりで)である。


へそ曲がり推薦の優しいやさしい動物病院 

    川崎市宮前区にあります。 

   病気のお話頁にもご注目ください。

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